18きっぷの旅 その4

2010年3月4日(木) (4日目)

 京橋のネットカフェを7時過ぎに出て,大阪駅へ向かう。オレンジ電車ともしばらくお別れ。またね。小さい時から好きな色はオレンジでした。

 大阪からは何本か電車を乗り継いで広島まで向かう。どうせなら姫路城に行って今回の旅を世界遺産巡りにでもしようと思ったけど,広島を堪能したかったのでやめる。神戸の街を横目に走る。港町ということでいろいろと横浜と共通点が多いけれど,この街は15年ほど前に一度立て直しを余儀なくされている。復興の力はすごい。無残な街の面影はもう,テレビや新聞などで見た自分の中の記憶にしかない。伝え聞く限り,被災者の方々は経験をプラスの方向に役立てていっているのがわかる。チームワークのある街だと思う。神戸を過ぎると明石海峡大橋,もっと先ではしまなみ海道(いわゆる瀬戸大橋のある道)の下を抜けながら,海を挟んで見える島の意外な近さに驚く。目線の焦点を島に当てれば瀬戸内海が箱庭のように感じられ,遠くの水平線に向ければ世界へと続いていく果てしない広さが感じられる。
 広島のちょっと手前,海田市駅に到着。ここで貪欲にも位置取得しようと,まっすぐ広島に向かわず呉線に乗り換える。

 坂駅に到着。ここで呉/江田島エリアを取得。呉線は呉をはじめとして坂やら広やら一文字の駅が目立つ。

 寄り道を終えて広島に到着。広島の町を回る前に,どうせならと宮島へと向かう。本土から厳島神社のある宮島へは,フェリーを利用して渡るのだが,その航路がもともと国鉄経営で,現在もJR西日本の子会社が運営しているので18きっぷで乗船することができる。という旨が18きっぷの説明書きに書いてあったので利用してみる。
 と思ったものの,宮島まで行っていると広島の原爆資料館が閉まってしまうので,引き返すことにした。フェリーの運航時刻を見ると夜10時近くまで出ているらしい。それなら広島を見てから夜にでも来ればよかった。失敗した。まぁ行き当たりばったりだからこういうのも悪くない。海岸からかすかに見える海上の鳥居を眺めながら,広島へ戻ることにする。

 西からは広島駅まで行くよりも横川駅で降りた方が町に近い。そこから市電に乗って原爆ドームを目指す。路面電車は実に趣深い。鉄道のように専用軌道でありながら,そのくせ一般道路を共用,時には占用しているさまが面白い。昔は多くの都市で走っていた路面電車も,渋滞の原因になるからとだいぶ廃れてしまった。それが今では環境面などから見直されてきている。富山のライトレールなんかがその例である。過去と今がともに息づいている様子が好きでたまらない。路面電車だけではなく,これから見に行く原爆関連の施設もまた過去と今をつないでいる。そういう通時的なものに触れながら,過去も現在も未来もすべて一点に集まったような,そんな空間に来たような感覚になる。
 原爆ドーム前停留所に到着。左手は広島スタジアム,右手には原爆ドームがのっそりと姿を見せていた。空は昨日から鉛色。雨も少し降っているが,傘がいるほどではなかった。そんな空模様に少し特別なものを感じながら,元安川沿いに下る。

 そこだけ時が止まっていた。そもそも時間などというものは存在していなかった。確かにここでは60余年前に何かが終わっていた。そして何かが始まっていた。一瞬の間に。見えているものは鉄骨や崩れかけた煉瓦,聞こえているのは車の音とかすかな雨,そして自分の足音。ところがそれらはいつの間にか意識からは消えて,自分の内面が可視化,可聴化して感覚を支配する。それは無感覚に限りなく近いものだったような気がするが,それでいて確かな変化だった。

 少し戻って相生橋を渡り,途中で曲がって公園を歩く。この相生橋は橋の途中で丁字路があって,川中島を結んでいる橋である。その珍しいT字形は昔から広島のシンボルになっていて,原爆投下時にはこの橋が目印になったともいわれている。公園を南へ歩きながら資料館へと向かう。

 資料館では被曝した日用品(特に8時15分で止まっている腕時計や,米が黒塊になった弁当箱はご存知の方も多いと思う),建物の壁を実際に見ることができ,一部触れるものもある。ここに展示されているもののほとんどは人の作ったもので,人の生活の中にあったもののはずなのに,その感じが全く伝わってこない。生あるものをたちまちにして奪い去られたままでいる。傷を負った人の写真を見る。このような写真を見るのは初めてではないけれども,毎度同じ感情を抱く。写真にある人,被害を受けた人の中にも,必死で生き延びた人や,まだ存命の方もいるのを承知で言わせてもらうと,この原爆は日常どころか,生きるものすべての生という根源までをも根こそぎ奪い取ったものであると知らしめられた。怒りや悲しみ,あるいは憐れみ,人によって抱くものもその程度も様々だと思うが,実際に体験したことのない者では,どんなに見て,聞いて,触ったところで,すべてを理解するには限界がある。それでも,そんな気持ちを抱いたのなら,どのような形であろうと,60余年前のこの事実を伝えていく責務を担っているのだなと思った。

 来た道をたどりながら,もう一度考える。この旅では,自然も文化も含めていろいろな歴史を目の当たりにしてきた。けれども,今日この「負の遺産」を実際に目にして,残すってどういうことか,守るってどういうことか,伝えるってどういうことか。残さない方がいいっていう人もいる。思い出してしまって辛いから。福知山線の事故現場のマンションも,中越地震の土砂崩れ現場も,同様に議論になったことがある。原爆や戦争に関しては,現在ではその当時を生きていない世代の方が多い。その立場からしたら,知りたい,伝えたい,残したい,と思う。それは人間としての本能でもあり,身勝手な意見でもある。次の世代にはどう伝える?それとも伝えない?人は,解決できるはずもないそんな問題を延々と議論する。でもそうやっていく中で,それぞれが抱く考えや感情を少しでも共有できたなら,それ自体価値のあることだと思う。だからそのままでいいと思う。不完全な,葛藤多き生き物のままで。などと取りとめもないことを一人で考えながら歩く。でもそれでいいのかもしれない。

 途中少し川沿いから離れて,一本奥に入る。しばらくすると島医院(上の写真)が見える。ここが爆心地だという。道の脇には標が立っていて,爆撃直後の写真と説明が書かれている。

 再び市電に乗って横川駅へと戻る。雨が強くなってきたので100円ショップで傘を買う。ついでに爪切りも買う。長旅なのでそういう品も随時必要になってくる。夕飯は広島に来たのにココイチのカレー。どうせなら広島焼き,でもよかったが,今日は旅を始めて以来誰にも会わない初めて(かつ唯一)の日なので,一人でじっくりと「いつもの」夜を過ごす。とはいってもココイチは一人で行くには結構贅沢な方。

 ここでふと思いつく。日中断念した宮島に今からでもいけるのではないか,と。船は22時ごろまで出ている。夜なので神社も景色もあまり見れないし,雨もかなり激しくなってきたけれど,せっかくだから行ってみる価値はある。というわけで決行。再びJRで宮島口まで向かう。

 18きっぷで船に乗る。こんな時間だから客も少ない。会社帰りっぽい男女数人がワイワイしながら乗っていた。宮島の住人にとっては,本土へ行く第一手段は船なので,朝や晩の航行にはよく乗っているらしい。けれども様子を見る限りこのサラリーマンたちも観光目的らしい。

 大雨。普段なら絶対に出歩かないくらいの激しさだが,旅なのでこんな雨さえもまた風流。この状況では宮島に足を踏み入れただけでも満足だったので,とりあえず歩いてみていろいろ見れたらいいな,と思いながら海岸沿いを歩く。タクシーも止まっていたけど使わない。7,8分歩いたら神社が見えてきた。夜の海は真っ暗でおっかない。その中にぼわっとライトアップされた朱色の鳥居。初めて生で見るのがこんな不気味な姿じゃあ神社にとっても不本意だろうね。でもそれはそれでいい。広島県世界遺産を二つも有している。そのどちらも見ることができたのでそれだけでよかった。

 五重塔なんかも見れた。神社は朱色が基調なので夜は本当に不気味。旅とか遺産じゃなかったら絶対に見ようとは思わない。先ほどのサラリーマン集団はかなり後方になってしまったが,女性二人が歩いていたので少し安心する。今度はちゃんと日中に来て,山頂からの景色や,境内の様子をじっくり見よう。
 帰り道はひとり町中を歩く。とはいっても夜中なので店も閉まっているし人も鹿もいない。地図もろくに見ていないので,勘を頼りに乗船場へ戻る。一方が海で一方が山なので,そう迷うような場所でもなかった。最初から海沿いの道をそのまま戻るのが一番良いのだけれど。
 しばらくすると丁字路に当たった。面前は山。方角的にはここをまっすぐのはずなのだけれど,さすがにここで山を登ったり右へ曲がったりするのは時間的に無謀だと思ったので,左へ折れてやっと往路の海沿いの道へ出る。後で地図で見たところ,この山(というより丘)を隔てて町と船乗り場があるようだ。なので今の丁字路はどちらへ行っても正解。でも右の道は森の中を通るので,左を選んで吉だった。

 そう,海に浮かぶ○○,というと外国にもあった気がする。ああ,モンサンミッシェルだ,と思っていると船乗り場に上の写真のようなものが展示されていた。ちゃんと提携している。

 雨ニモマケズ,夜ニモマケズ,宮島に踏み込んだものの,その素晴らしさを十分感じるのは少し無理があった。だんだんと小さくなっていく朱鳥居を眺めながら,また訪れる決心をする。

 広島駅に到着。今宵は八丁堀にあるネットカフェに宿泊。ナイトパックの時間の都合により,広島駅のマクドナルドで1時間ほど時間をつぶす。市電に乗ってネットカフェに到着。受付をしていると,ただいま特別キャンペーンにより9時間パックの料金で12時間利用可能とのこと。それならマックで時間つぶすこともなかった。この店はフラット席が無い代わりに,ベンチシート席がある。足を延ばせるほどのロングシートなので,横になれるだけでなく座るときもあぐらになる必要が無い。もしかするとこっちの方がネットと寝るだけが目的の客には快適かもしれない。

 今日は特に価値のあるものをたくさん見て回ることができたが,スケジュール的には少し不備があった。宮島の船が夜も出ていることを知っていれば,寄り道せずに先に広島を回って明るいうちに宮島に着けていた。さらに,今日のような夜の宮島になったとしても,マクドナルドで時間を調整する必要ができるくらいなら,宮島から広島へ戻る前にさらに西へ向かい岩国あたりまで行って戻って来ることもできた。今回の旅は位置取得も目的にしているので,山口県に到達できただけでもそれで価値があった。まぁその時間調整自体も結局必要が無かったのだけれども。反省するところはいくつかあるけれども,行き当たりばったり感も悪くはない。

 9時間分の料金で12時間まで利用できることになったが,明日は7時すぎには広島を出発する予定。再び大阪や京都に向かい,今度は位置取得をメインとして周遊するつもりなので。


 ところが,ベンチシートの快適さのせいか,はたまた4回目の夜となり慣れてきたせいか,華麗に寝過しを決める。これにより滞在時間が9時間を超えたので,結果的にキャンペーンサービスの恩恵を受けることになる。今日に限らず,一応スケジュールを立てるときは遅れた場合の電車の時刻も把握しているが,その電車にさえ間に合わなそうな時間。朝早く起きて浴びようと思っていたシャワーもせずに店を出る。広島市電で広島駅まで向かう。猿猴橋町‎のあたりでもう間に合いそうにないと悟る。次の電車まで1時間ほどあるので,昨日の夜と同じマクドナルドで3日ぶりの朝マックをして,ようやく東へ向かう。さよなら,広島。また来るよ。

今日はここまで。<お会いしたわさらー>
本日はなし!<取得したDoCoMo iエリア(重複除く)>
芦屋市,東灘/六甲アイランド,灘区,北野/新神戸,三宮/ポートアイランド,元町,神戸/ハーバーランド,兵庫/長田,須磨/垂水,明石市東播磨,姫路/中播磨西播磨備前/瀬戸内,岡山/玉野/赤磐,倉敷/総社/笠岡,福山/府中,三原/尾道,東広島/西条/竹原,広島,呉/江田島,宮島/廿日市/大竹<出費>
[交通費]
広島市
(横川駅〜原爆ドーム前)\150
原爆ドーム前〜横川駅)\150
(広島駅〜八丁堀) \150
[食費]
Daily-in広島2号店
(おむすびわかめ御飯・手巻きおにぎり・生茶500m) \357
CoCo壱番屋JR横川駅前店
(ポークカレー) \880
マクドナルドJR広島駅店
(マックフライポテトL・ミニッツメイドM) \370
[宿泊費]
メディアカフェポパイえびす通り店
(ナイトパック12時間) \1,900
[物品費]
ダイソー横川駅前店
(つめきり・ビニール傘) \210
[施設入場料]
広島平和記念資料館 \50
[その他]
コインロッカー \300