アウフヘーベンとの再会

今までの大学の講義や演習で用いたレジュメやノートを整理していたら(総重量10キロ超えています),1年前の自分に出会いました。




 「子どもは個々の生活経験を持っており,学びは一人ひとり事なった固有性を持っている。ゆえに,教師の予測や創造からはみ出した学びが見られることが少なくない。にもかかわらず,教師は授業構想の段階において,ねらいや手だてを明確化し,そこからはみ出した学びを,授業構想や実践の反省の対象としている。そこには,教師の設定した授業構想が有用であるかどうかの判断が,教師自身の過去の体験を類型的に把握したものに基づいたものであり,よって子ども(他者)言動や思考を類型化して捉え,また学びを操作する事が可能な支配領野を構築しているという実態がある。したがって,教師は学びそのものよりも授業目的に目を向け,支配領域という希薄な枠組みの中で子どもとかかわることで,自らの有用性を自閉的に肯定しているにすぎない。
 この類型的な他者認識を再構成し,支配領域から離脱するために,対話が必要とされる。また,その対話の中で驚嘆する,他者の優れている点を称賛するという感覚が重要となる。他者とともにある事柄について対話する中で,それぞれの固有性ゆえに対立矛盾しながらもそれらが調和している視点,立場を獲得する。そうすることで自己の誤りに気づき,他者・社会への認識の変化,ひいては自己の変化へとつながっていく。そうした教師と子どもとの相互的なかかわりの中で,思考を促していく授業が求められている。」




 …だそうです。どうやら社会科の教育法の最終レポートみたいです。読み返してみると,接続詞や連体修飾などで文章の流れが悪くなっているのはさておき,今の自分自身を一番納得させられる文章です。他にもいろいろレポートの原稿が出てきたのですが,よくもまぁこれで単位出たなぁっていうものばかりです。というのも,この論と授業実践と人生経験が他のものと比べて強く結びついているというか,読んでいて主張がしっくりくるんです。教育現場だけでなく日常の社会生活に照らしてみてもそう感じます。
 また,「対立矛盾しながらもそれらが調和している視点,立場を獲得する」という部分が,いわゆるヘーゲル弁証法(Aufheben アウフヘーベン)における止揚という概念にあたるんです。これは小学生のころに読んだ何かの本に書かれていた文章を彷彿とさせました。

 「三角形であり,四角形でもあるカタチ?そんなものがあるだろうか。ピラミッドがそう。横から見ると三角形,上から見ると四角形。いわゆる四角錐という図形。三角形,四角形というのは投影図,いわゆる平面(2次元)の形であって,このふたつの形を併せ持ったのが,ピラミッドという立体(3次元)。このように一見矛盾している事柄を調和して,新たな立場でモノを捉えることを,止揚アウフヘーベン)という。」


 みたいなことが書かれていた気がします。止揚の手段として,ピラミッドの例のように物理的に次元を上げる方法があります。「次元を上げる」ということばは抽象的な意味でも用いることができるので,さきの対話において人間の思考が互いに対立矛盾しあうような場面でも,新しい立場を獲得することを「次元が上がった」と表現してもいいと思います。

 
 はじめてそのことばに出会ったとき,哲学的な概念がわかりやすく説明されていたことや,矛盾が解決されていく小気味よさゆえに妙に頭の中に残っていました。それ以来,生活の中で人間同士の意見の対立を目にしたり,自分自身の中で考えが対峙したりしたときなんかには,たまに思い出したりしていました。そしてレポートを書く際に,この止揚という概念に再び出会い感激してしまったんですね。当然さきのレポートは,ある先生の講義内容をもとに構成したもので,その先生自身はヘーゲルだのアウフヘーベンだのという用語は一切出さなかったのですが,講義内容を振り返っていてあの先生の持論のポイントのひとつはコレなのね,とピンときてしまいました。そこで早合点したらもったいないので,改めて止揚の概念について調べるに至りました。そんなこともあって,この授業の内容は最終的には自分の頭の中に取り込みやすかった気がします。