2013年4月 東北を回ってきた 1日目 前半

※この記事は2013年4月の旅行をまとめたものです。記事中の情報や画像に関する内容は当時のものであり,現在とは異なる場合がありますのでご了承ください。

 

今回は,秋田と岩手を中心に鉄道の乗りつぶしと観光に行ってきた記録をまとめていきます。院を修了して間もない頃なので,横浜居住時代の旅の中でも最晩期のものです。

2013年4月9日(火) 1日目/2日 前半

余った18きっぷの使い道

この旅の大きな目的は,「秋田県内の鉄道乗車」と「岩手平泉の世界遺産観光」です。どちらから先にたどろうとかと考えましたが,交通手段や移動時間を検討した結果,芭蕉の『おくのほそ道』とは逆に日本海側から回ることにしました。

秋田に向かうにあたって,日本海側までの移動を日中に行うのももったいないので,新宿から出ている夜行バスで新潟まで行くことにしました。実家に帰るようなルートですが,今回はあくまで通過地です。

時期がよければ,鉄道でも「ムーンライトえちご」という夜行列車が出ているのですが,春休みシーズンを過ぎていたこともあり,運行していませんでした。臨時運行の日数もかなり削減されてきていて,2014年からは運行日の設定すらされていない状態です。

なお,今回は2回分残っていた青春18きっぷを使います。今期の使用期間が4月10日までだったので,ギリギリのことろで日程を組んだのです。

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今日も今日とて県境をまたぐ

朝6時,新潟駅出発です。18年間新潟に住んでいましたが,新発田から北の路線はまだ乗ったことがありませんでした。羽越線でひたすら北上します。

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1時間半くらい走って,鼠ヶ関(ねずがせき)という駅で降りました。なぜこんな辺鄙なところで降りたかというと,県境スポットがあるんですね。以前から目をつけていた場所にようやくたどり着けました。次の列車まで2時間あるので,たっぷり探訪できます。

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辺鄙なところと書きましたが,きらきらうえつの停車駅にもなっています。観光案内板もあります。県境もちゃんとスポットに含まれているのですね。新潟・山形県境ということは,古代の日本(五畿七道)と陸奥の境でもあるわけです。

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駅を出て南へ少し歩くと,「境界」を思わせるさまざまな史跡が現れます。県境付近には,ここで古代の鼠ヶ関の跡が発掘されたことを示す碑が立てられています。

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ようやく,県境と思われる場所が見えてきました。一般的な境界は,川や山の稜線に惹かれる場合が多く,生身の人間が気軽に立ち入るのが難しい場所がほとんどです。しかしこの場所は,平地,ましてや住宅街の中を境界が突っ切っています。珍しいスポットなので,それを示す看板や碑もしっかりと整備されています。

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自治体の境界には,たいていカントリーサインの看板とか,自治体名だけが示されている場合が多いです。それに比べて,ここは遊び心のこもった表示もあって,本ブログのヘッダ画像にもさせてもらっています。

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ご丁寧に記念スタンプまで用意されています。地元の方も推す観光スポットのようです。

碑の後ろに民家が見えますが,本当に変哲もない住宅地の中で,お隣さんどうしで住んでいる県が異なるという状態です。こういう境界は個人的に興奮しますね。「伊呉野」というバス停は,道を挟んで設置場所が新潟県山形県に分かれています。

県境に沿って,海の方へ歩いてみます。

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手前の道が海岸に面した通りです。ちょうど民家の間にある小道を境界が走っています。海側は小さな漁港になっており,文字通り新潟県最北の漁港です。

集落のまとまりとしてはひとつですが,県が違えば当然市町村名,字名も異なります。それをアピールしたのが下の2つの看板です。

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後ろの家の壁を見るとお分かりかもしれませんが,この2つの看板は隣り合っています。駅名にもある鼠ヶ関が山形県側の集落名,新潟県側はバス停名にもあった伊呉野という地名なのですね。

伊呉野を散策していると,案内図がありました。左下が先ほどの碑や看板のあるところです。

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今度は,山側の方へ行ってみます。踏切を渡って,線路の向こう側です。丘になっている所があるので登ってみました。中央奥に見える道が,境界の碑が建てられている道です。

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道路を見ると,ガードレールが変わっていたり,舗装に明らかな継ぎ目が見えたりしています。ここがおそらく境界なのでしょう。左が新潟県,右が山形県です。

丘の上にはお寺があって,敷地は山形県のようですが,その先では県境が丘の稜線に沿って続いているようです。その丘を越えると,国道7号線に出ます。国道の境界はおなじみのカントリーサインの看板でした。

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集落へ戻り,駐車してある車を見てみると,新潟県側の家は新潟ナンバー,山形県側は庄内ナンバーと,きれいに分かれています。当然のことなのですが,こんなところにも境界を感じさせられて面白いです。

義経の後を追って

今度は北へ歩いていきます。現在の鼠ヶ関の市街地は,今散策した県境付近より少し北の方にあります。その中に庭園があったので入ってみました。

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庭園には松が植えられていて,龍のような格好で庭の端から端まで幹を伸ばしています。関所を渡る人たちもここで松を眺めて足を休めたのでしょうか。

さらに北へ進むと,近世の鼠ヶ関(「念珠関」と表記したそう)の遺跡があります。平安期になると,白河の関,勿来の関と並んで蝦夷の平定などで重要な関所のひとつだったようです。

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港の方へ行くと,海岸が突き出ていて,弁天島というところに続いています。島といっても今では港が整備されて陸続きになっています。ここは源義経が上陸したという言い伝えがあるそうです。義経はこの後平泉へ向かったそうです。今回の行程と同じですね。何かに追われているわけではありませんが。

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島を一周する道があるのですが,途中で海と断崖の間を進む場所があります。波がすぐ足元まで寄せてくるのでかなりおっかないです。足を滑らせようものならシャレではすみません。

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何とか断崖を登りきると,岸が広がっていて,先端に灯台が見えます。島の入口にあった神社の奥社も置かれているようです。振り返ると,朝日に照らされた海岸線がきれいに続いています。

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鼠ヶ関港は漁港としてだけでなく,マリンパークにもなっていて,夏にはサーフィンなどでにぎわいを見せるようです。

海岸線を歩きながら,最後に県境をもう一度訪ね,次の列車に乗り込みました。

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長くなったので,いったんここで終わりにしたいと思います。後半もいろいろと書きたいことがあるので。