ドイツ語の不規則動詞を整理してみる vol.1【幹母音 ei】
外国語(特に欧米諸語)を学習する際に避けられないもののひとつが,不規則動詞の変化を覚えることです。多くの人は,中学校で英語の不規則変化を覚えたと思います。sing-sang-sung とか。一般には,現在形(原形)-過去形-過去分詞 という並びです。ドイツ語にも(というかこちらが元祖ですが)不規則動詞があるので,自分の学習も兼ねてまとめてみることにしました。
覚えるのはいいけど
動詞の変化を覚えるときは,ひたすら口ずさんだり書いたりして暗記するのが多いと思います。もう少し実用的なやり方だと,不規則動詞を紛れ込ませた基本例文を覚えたという人もいるでしょう。
それにしても,不規則動詞の数はドイツ語だと200近くあります(小学館『ポケット プログレッシブ独和・和独辞典』の資料による)。時代の中で新しく作られた動詞は,原則規則変化をするので,これ以上増えることはありません。中には日常でめったに使わないようなものもありますが,ただ暗記するにしても,例文を作るにしても,この数を身に付けるのはかなりの努力が要ります。
英語にしろドイツ語にしろ,辞書や教科書の巻末に変化表が載っていることが多いです。編集の便宜上なのか,動詞はアルファベット順に並んでいるものがほとんどです。学習していると気づく方もいると思いますが,動詞の変化にはある程度の規則性があります。例えば英語だと sing-sang-sung と drink-drank-drung は,どちらもアクセントを持つ母音(幹母音と呼びます)が i-a-u と変化しています。このように,不規則といっても,同じ変化をするグループを作ることができるのです。
このグループ分けで不規則動詞を整理し直すと,効率よく覚えることができるのではないでしょうか。教科書もこれくらいのことをしてほしいですが,作業も勉強のうちだ,自分でやってみろ,ということなのでしょうか。それにしてはやらない先生,生徒がほとんどですが。
前置きが長くなりましたが,ドイツ語の不規則動詞を整理してみたいと思います。また,前綴りなどで派生した動詞は,原則もととなる動詞のみを載せています(例:entscheiden→scheiden を参照)。日本語の意味は,基本的なものを載せています。
なお,ドイツ語では過去分詞の場合,前綴りがある場合を除き先頭に ge- がつきます。
幹母音 ei
ei「アイ」をアクセントとしてもつ動詞の不規則変化には,2パターンあります。①ei-ie-ie ②ei-i-i です。どちらも,過去形・過去分詞は「イ」という発音になりますが,それが長いか短いかの違いになります。
① ei-ie-ie
過去形・過去分詞の母音が長いほうの発音「イー」になるパターンです。
bleiben「とどまる」 bleiben-blieb-geblieben
gedeihen「成長する」 gedeihen-gedieh-gediehen
leihen「貸し借りする」 leihen-lieh-geliehen
meiden「避ける」 meiden-mied-gemieden
preisen「褒める」 preisen-pries-gepriesen
reiben「こする」 reiben-rieb-gerieben
scheiden「区別する」 scheiden-schied-geschieden
scheinen「輝く」 scheinen-schien-geschienen
schreiben「書く」 schreiben-schrieb-geschrieben
schreien「叫ぶ」 schreien-schrie-geschrien
schweigen「黙る」 schweigen-schwieg-geschwiegen
steigen「登る」 steigen-stieg-gestiegen
speien「吐く」 speien-spie-gespien
treiben「追い立てる」 treiben-trieb-getrieben
weisen「指し示す」 weisen-wies-gewiesen
zeihen「とがめる」 zeihen-zieh-geziehen
② ei-i-i
「アイ」から「イ」へ,母音が短くなるので,過去形・過去分詞では,母音の後の子音が重なるものがあります。
beißen「噛む」beißen-biss-gebissen
gleichen「比べる」 gleichen-glich-geglichen
gleiten「滑る」gleiten-glitt-geglitten
greifen「つかむ」greifen-griff-gegriffen
kneifen「つねる」kneifen-kniff-gekniffen
leiden「苦しむ」leiden-litt-gelitten
pfeifen「笛を吹く」pfeifen-pfiff-gepfiffen
reißen「引き裂く」reißen-riss-gerissen
reiten「馬に乗る」reiten-ritt-geritten
scheißen「くそをする」scheißen-schiss-geschissen
schleichen「忍び歩く」 schleichen-schlich-geschlichen
schleifen「研ぐ」schleifen-schliff-geschliffen
schmeißen「投げる」schmeißen-schmiss-geschmissen
schneiden「切る」schneiden-schnitt-geschnitten
schreiten「歩く」schreiten-schritt-geschritten
spleißen「割る」spleißen-spliss-gesplissen
streichen「塗る」 streichen-strich-gestrichen
streiten「争う」streiten-stritt-gestritten
weichen「屈する」 weichen-wich-gewichen
こうしてみると,2パターンの変化の見分け方が見えてきます。②では子音が重なるものがあると書きましたが,ほとんどが当てはまりますね。もともと子音が2文字なのは,ch のみで(ß も ss とみれば2文字ですが),変化してもそのままです。一方,①の動詞はそもそも幹母音の後の子音が1文字です。この視点からもう少し詳しくみてみると,次のようにまとめることができます。
幹母音が ei の不規則動詞のパターン
幹母音 ei の後の子音が2文字(ch または ß)であれば,②ei-i-i の変化になる。
幹母音 ei の後の子音が1文字もしくは存在しないとき,-en, -ben, -gen, -hen, -nen, -sen は ①ei-ie-ie となる。一方,-fen, -ten は ②ei-i-i となり,過去形・過去分詞では子音を重ねる。
これで見分けがきかないのが -den で,meiden, scheiden は①,leiden, schneiden は②で子音が tt となります。
最後に,幹母音 ei の動詞で1つだけ例外があるので紹介しておきます。
heißen「~と言う」
変化は heißen-hieß-geheißen です。パターン通りなら過去形が hiss あるいは過去分詞が gehießen となるところですが,過去形は①,過去分詞は現在形と同形です。よく使う動詞なので,これだけ別で覚えておくとよいでしょう。
今回は前置きもあってあまり紹介できませんでしたが,次回もこんな感じで幹母音ごとに整理していきたいと思います。
2013年4月 東北を回ってきた 2日目
※この記事は2013年4月の旅行をまとめたものです。記事中の情報や画像に関する内容は当時のものであり,現在とは異なる場合がありますのでご了承ください。
2013年4月10日(水) 2日目/2日
東北の旅2日目です。秋田駅を出て,岩手県に向かいます。鉄道で岩手県に出るルートは北から花輪線,田沢湖線(秋田新幹線),北上線とあるのですが,どれも未乗です。今回は平泉が目的地なので,最短ルートの北上線で行きます。
春雨を集めて緩し 横手川
奥羽本線で横手まで行き,北上線に乗り換えます。横手ではまだ路上に少し雪が残っています。北上線の車両を見ると,ドラゴンレール大船渡線のマークが付いていました。大船渡線といえば,一ノ関から宮城県気仙沼を通り,太平洋側へ抜ける路線です。車両自体はここまで運用されているのですね。
岩手県に入ると湯田高原というリゾート地を抜けていきます。途中,「ほっとゆだ」駅に停車しました。この駅,温泉が併設されています。この列車はすれ違い停車で数分間停まっていたものの,温泉に入れるほど時間の余裕はありませんでした。
北上に到着したら,東北本線に乗り換えて平泉まで行きます。接続があまり良くなく,1時間近くあったので駅の外を散策しました。この北上駅といえば,以前北海道へ向かう時に仙台駅で列車を逃し,やむなく新幹線でワープした際に降りた駅です。ここで予定していた普通列車に追いついたのでした。急ぎたければ新幹線で,ということなんですね。18きっぷを使っていると,実にお金と時間のトレードオフを感じさせられます。
通草(みちくさ)や 旅人どもが夢を見る
平泉に到着したのが10時半ごろでした。世界遺産の玄関口というだけあって,駅標や駅舎も風情があります。本当はここから半日ゆっくりと観光してもよかったのですが,その後の予定もあったので,滞在時間はお昼をはさんで3時間ほどです。それでも,中尊寺を中心にチェックすべきスポットは回ってきました。
駅から中尊寺までは少し離れているので,バスに乗っていきます。途中,同じく世界遺産の毛越寺(もうつうじ)や高館義経堂といった場所を経由するのですが,今回はなくなくパスです。
バスが停まるのは中尊寺参道の入口です。武蔵坊弁慶の墓もありました。そこからは徒歩で山を登っていくことになります。中高年の方が多かったのですが,皆さん健脚ですね。私も見るべき場所はなるべくゆっくりと見たかったので,移動は早足です。
本堂までの山道は,月見坂と呼ばれています。藤原氏の栄枯を思わせる名称ですね。坂の途中から見下ろす景色からは,芭蕉の感じたそれと同じような儚さがうかがえます。
坂を登りきると,いろいろと建物が見えてきました。ひとつひとつなんとか院とか,ほにゃらら堂と名前が出ていたと思うのですが,金色堂が有名すぎて覚えていられないですね。
名前を存じないのは失敬でしたが,それにしても立派な造りです。極楽浄土を目指していた当時の清衡達は,どんな思いで見ていたのでしょうか。
寺院の一番奥の方まで行くと,いよいよ金色堂が見えてきます。
中は撮影禁止です。様子を見たい方は「金色堂」で画像検索してください。よくテレビで見る感じだと,金色が眩しくキラキラ輝いている様子がイメージされますが,実際には最低限の照明で,ガラスケースの中に鎮座しています。かといって風格を損ねるわけでなく,むしろ映像で見るよりも荘厳さを増しています。壇内には奥州藤原3代のミイラが眠っているのですよね。心に語りかけてきそうな雰囲気でした。
見れば見るほどどこもかしこも精巧な造りで,よくぞ現代まで遺っていてくれたと感心させられます。美術品というよりは縄文時代の出土品とかを見ているような気分でした。何かを崇拝して作り上げたもの,というところで通じているのでしょうか。
少し進むと,芭蕉さんと出会いました。妙に姿勢がいいですね。その先には,以前金色堂が納められていた覆堂があります。
霞城にて いづれの旅を石枕
お昼は平泉駅前のそば屋で山菜そばを食べて,1時半には出発しました。このまま東北本線を南下すれば,夜には横浜に戻れます。しかし,今回はまだ乗っておきたい路線があったので,さらに寄り道をします。
仙台到着後,仙山線に乗り換えて山形まで行きます。仙台と山形は隣接した県庁所在地として珍しい(他には京都市と大津市)ですが,それをつなぐ仙山線を乗りつぶしたことはありませんでした。隣接しているといっても,山を越えるので1時間ほどかかります。
前に山形に来たのは北海道へ行く途中のことでした。1日目の宿泊地に予定していたのですが,駅前にあるはずのネットカフェが閉店していたのです。若さゆえにビジネスホテルに泊まるという選択をせず,路上のベンチで横になるという荒業をやってのけました。夏だったからよかったものの,今では体力的にも無理だと思います。
上の写真がその時ベッドにした石のベンチです。2年半越しの再会,感慨深いですね。
その後は米沢まで出て,米坂線を乗りつぶします。ちょうど快速紅花号という列車が出ていました。ただし米坂線内は各駅停車です。新潟まで直通で,羽越線内で快速になります。
米坂線は米沢から新潟県の坂町駅を結ぶ路線です。新潟まで3時間近くの乗車となるので,米沢で駅弁を買いました。米沢牛がたっぷり詰まったすき焼き弁当です。
米沢を出てしばらくは帰宅の高校生であふれていたのですが,山間部に入ると乗客もまばらになったので,車内でいただきました。夜なので景色は見えませんが,列車に乗りながらの食事も旅の醍醐味です。
これまで折に触れて各地の駅弁を食べてきましたが,メインの食材はもちろん,付け合わせのおかずにそれぞれの地域の特色が出ていて楽しめます。今回はがんもどきや昆布巻きが入っていますね。紅しょうがも肉によくあいます。
新潟に戻ってきました。出発地と終着地が同じというのは,自分の旅の中では珍しいパターンです。新潟からは来た時と同じように,夜行バスで新宿へ戻りました。
以上で今回の旅は終わりです。東北は広いので,路線はJR東日本管内でありながら,まだまだ乗車していない区間があります。ひとつひとつが長いのでなかなかまとまって乗るのも難しいのですが,また回ってみたいと思います。
【記録】(JR線は18きっぷ利用)
<行程>
秋田623---(奥羽本線・新庄行)---737横手744---(北上線)---903北上954---(東北本線・一ノ関行)---1026平泉(中尊寺観光)1331---(東北本線)---1340一ノ関1354---(東北本線・白石行)---1537仙台1545---(仙山線快速)1655山形1733---(奥羽本線)---1818米沢1829---(米坂線快速べにばな)---2120新潟2350---(夜行バス)---620新宿
<新規乗車区間>
JR北上線 横手~北上 61.1 キロ〔完乗〕
JR米坂線 米沢~坂町 90.7 キロ〔完乗〕
JR線合計 205.0 キロ
2013年4月 東北を回ってきた 1日目 後半
※この記事は2013年4月の旅行をまとめたものです。記事中の情報や画像に関する内容は当時のものであり,現在とは異なる場合がありますのでご了承ください。
1日目の記録が長くなったので,2回に分けて書きます。本記事はその後半です。
2013年4月9日(火) 1日目/2日 後半
旅の心と春の空
鼠ヶ関を出てからは,秋田県の由利本荘まで北上します。山形県の海岸線を縦断するわけですが,途中の酒田駅で乗り継ぎがあります。
ちょうどお昼時だったので,駅弁を買いました。「ががちゃおこわ」という,枝豆が炊きこまれている酒田名物のおこわです。
昼下がりになり,羽後本荘に到着です。「ほんじょう」と言うと首都圏の人は埼玉県の本庄市が思い浮かぶでしょうか。その重複もあって,こちらの秋田は平成の大合併の際に本荘市から由利本荘市に改称しています。合併した地域が由利郡だったので,地域名と中心都市名を併せたネーミングです。駅名は旧国名を取って羽後本荘駅です。
羽後本荘からは,由利高原鉄道が出ているので,そちらに乗り換えます。乗り換えまで時間があったので,駅前を散策しました。閑散としていましたが,楽器店があちこちに見られました。
由利高原鉄道の路線は,鳥海山ろく線という名前が付いています。鳥海山のふもとの矢島町までを結んでいる路線です。切符が硬券だったり,車両に宇宙戦艦ヤマトのデザインが施されていたりと,地方私鉄ならではの味わいがあります。
まつ子おばちゃんの待つこの町へ
この矢島駅,これまで訪れた数多くの駅の中でも,特に忘れられない思い出のある場所です。
「おひとり様?」「さぁさ座って,寒かったでしょう」
列車を降りるやいなや,年配の品のよい女性が声をかけてきました。一人旅をしていると,誰とも話さない時間がほとんどで,ましてや乗り鉄のような,来てもすぐに去ってしまう人間をわざわざ気にかけるような場所はないだろうと思っていました。それなのに,
春の訪れをほのかに感じる,さくら茶でもてなしてくれました。体の中から温かくなってきたのは,ストーブの火のせいだけではないでしょう。この女性,まつ子さんという方で,矢島駅の売店を営んでいらっしゃいます。たった20分の滞在なのに,ゆっくりほっこりと列車を待つことができました。
申し訳ないことに,私は何もお金を落としていかなかったのですが,まつ子さんから折り紙で作った手作りの人形をいただきました。紙風船もその場で膨らましてくれました。
まつ子さん,こんな人懐っこさもさることながら,とてもパワフルな方です。帰りの時間になり列車に乗り込むと,地元の中学生たちが列車に乗ってきました。ちょうど下校時刻と重なったようです。列車が動き出した瞬間,窓の外にいたまつ子さんが大きな旗を振って応援を始めたではありませんか。体育祭の応援団長さながらのたくましさです。今月から列車通学を始めた新入生もいるのでしょう。新しい門出を送り出す応援に,自分も元気を分けてもらったのでした。
まつ子さんに元気をもらっているのは自分だけではないようで,度々記事にも取り上げられています。ご本人にもいろいろな思いがあって,このようなとびきりのおもてなしをされているようです。
由利高原鉄道:秋田の売店「まつ子の部屋」 恋愛相談も - 毎日新聞
旅先でも,人とのかかわりが一番思い出に残ったりします。なんだかんだいってずっと一人で行動していると,人恋しさをどこかで感じているのでしょう。それを知ってか知らずか,まつ子さんのもてなしには本当に感激しました。また会いに行って話をしたいです。
乗り鉄はいねぇが
矢島に居残りたい気持ちもなくはなかったのですが,目的地があっての旅だからこそ,こういう出会いもあるのでしょう。この先にも何か思いがけないことがあるかもしれないので,予定通り進んでいきます。もちろん,予定変更!今日はここで泊まる!みたいな旅も面白いと思います。
秋田駅に着いたころにはもう日が暮れていました。最終的な目的地はここなのですが,秋田駅を拠点にしてもう少し足をのばします。
まずは奥羽線に乗って,大曲まで来ました。花火で有名なところですね。以前北海道に行く途中で通った所ですが,ちょうど花火大会の日で電車が混雑していました。
ここから,田沢湖線に乗り換えます。終点の盛岡まで行ってしまうと戻ってこれないので,角館で引き返します。
4月といえど東北の夜はだいぶ冷え込みます。折り返しの列車待ちの間は駅の待合室にいたのですが,ざぶとんが並べてありました。ここでも温かなおもてなしを感じられました。
今回,角館は田沢湖線のちょこっと乗りつぶしのために寄らせてもらった程度ですが,武家屋敷の街並みは一度散策してみたいスポットです。桜の名所でもあるので,もう少し遅い時期の5月上旬くらいを狙っています。それも意図して田沢湖線の東側は未乗です。この旅から5年ほど経ちましたが,なかなか実行のめどは立ちません。
秋田に戻ってきた後は,北上して男鹿半島へ向かいました。男鹿線はけっこう遅い時間まで運行しているのですね。男鹿行き最終列車で行って,秋田行き最終列車で戻ってきます。
三たび秋田へ戻ってきたころには,もう日付が変わろうとしていました。元気をもらったおかげで,それほど眠気は感じませんでした。長い移動のときはよく居眠りをするのですが,同じ姿勢でいるので(特にロングシートだと)身体は疲れてくるんですね。それでも今日は気持ちにつられたのか,夜になってもしんどくなかったです。
コンコースではなまはげがお出迎えしてくれます。他にもデゴイチの模型など,年季の入った鉄道の展示がいろいろとありました。
駅ビルにあるネットカフェで宿泊です。明日は岩手に出て,平泉を散策します。
【記録】(JR線は18きっぷ利用)
<行程>
2330新宿---(夜行バス)---550新潟608---(白新線)---646新発田649---(羽越本線・酒田行)---817鼠ヶ関(周辺散策)1012---(羽越本線)---1140酒田1240---(羽越本線・秋田行)---1352羽後本荘1450---(由利高原鉄道 580円)---1529矢島1550---(由利高原鉄道 580円)---1631羽後本荘1639---(羽越本線)---1725秋田1734---(奥羽本線・新庄行)---1824大曲1842---(田沢湖線・田沢湖行)---1914角館1929---(田沢湖線)---1952大曲2012---(奥羽本線)---2101秋田2139---(男鹿線)---2238男鹿2246---(男鹿線)---2342秋田
<新規乗車区間>
JR田沢湖線 大曲~角館 16.8 キロ
JR男鹿線 追分~男鹿 26.6 キロ〔完乗〕
JR線合計 172.1 キロ
由利高原鉄道鳥海山ろく線 羽後本荘~矢島 23.0 キロ〔完乗〕
私鉄線合計 23.0 キロ
2013年4月 東北を回ってきた 1日目 前半
※この記事は2013年4月の旅行をまとめたものです。記事中の情報や画像に関する内容は当時のものであり,現在とは異なる場合がありますのでご了承ください。
今回は,秋田と岩手を中心に鉄道の乗りつぶしと観光に行ってきた記録をまとめていきます。院を修了して間もない頃なので,横浜居住時代の旅の中でも最晩期のものです。
2013年4月9日(火) 1日目/2日 前半
余った18きっぷの使い道
この旅の大きな目的は,「秋田県内の鉄道乗車」と「岩手平泉の世界遺産観光」です。どちらから先にたどろうとかと考えましたが,交通手段や移動時間を検討した結果,芭蕉の『おくのほそ道』とは逆に日本海側から回ることにしました。
秋田に向かうにあたって,日本海側までの移動を日中に行うのももったいないので,新宿から出ている夜行バスで新潟まで行くことにしました。実家に帰るようなルートですが,今回はあくまで通過地です。
時期がよければ,鉄道でも「ムーンライトえちご」という夜行列車が出ているのですが,春休みシーズンを過ぎていたこともあり,運行していませんでした。臨時運行の日数もかなり削減されてきていて,2014年からは運行日の設定すらされていない状態です。
なお,今回は2回分残っていた青春18きっぷを使います。今期の使用期間が4月10日までだったので,ギリギリのことろで日程を組んだのです。
今日も今日とて県境をまたぐ
朝6時,新潟駅出発です。18年間新潟に住んでいましたが,新発田から北の路線はまだ乗ったことがありませんでした。羽越線でひたすら北上します。
1時間半くらい走って,鼠ヶ関(ねずがせき)という駅で降りました。なぜこんな辺鄙なところで降りたかというと,県境スポットがあるんですね。以前から目をつけていた場所にようやくたどり着けました。次の列車まで2時間あるので,たっぷり探訪できます。
辺鄙なところと書きましたが,きらきらうえつの停車駅にもなっています。観光案内板もあります。県境もちゃんとスポットに含まれているのですね。新潟・山形県境ということは,古代の日本(五畿七道)と陸奥の境でもあるわけです。
駅を出て南へ少し歩くと,「境界」を思わせるさまざまな史跡が現れます。県境付近には,ここで古代の鼠ヶ関の跡が発掘されたことを示す碑が立てられています。
ようやく,県境と思われる場所が見えてきました。一般的な境界は,川や山の稜線に惹かれる場合が多く,生身の人間が気軽に立ち入るのが難しい場所がほとんどです。しかしこの場所は,平地,ましてや住宅街の中を境界が突っ切っています。珍しいスポットなので,それを示す看板や碑もしっかりと整備されています。
自治体の境界には,たいていカントリーサインの看板とか,自治体名だけが示されている場合が多いです。それに比べて,ここは遊び心のこもった表示もあって,本ブログのヘッダ画像にもさせてもらっています。
ご丁寧に記念スタンプまで用意されています。地元の方も推す観光スポットのようです。
碑の後ろに民家が見えますが,本当に変哲もない住宅地の中で,お隣さんどうしで住んでいる県が異なるという状態です。こういう境界は個人的に興奮しますね。「伊呉野」というバス停は,道を挟んで設置場所が新潟県と山形県に分かれています。
県境に沿って,海の方へ歩いてみます。
手前の道が海岸に面した通りです。ちょうど民家の間にある小道を境界が走っています。海側は小さな漁港になっており,文字通り新潟県最北の漁港です。
集落のまとまりとしてはひとつですが,県が違えば当然市町村名,字名も異なります。それをアピールしたのが下の2つの看板です。
後ろの家の壁を見るとお分かりかもしれませんが,この2つの看板は隣り合っています。駅名にもある鼠ヶ関が山形県側の集落名,新潟県側はバス停名にもあった伊呉野という地名なのですね。
伊呉野を散策していると,案内図がありました。左下が先ほどの碑や看板のあるところです。
今度は,山側の方へ行ってみます。踏切を渡って,線路の向こう側です。丘になっている所があるので登ってみました。中央奥に見える道が,境界の碑が建てられている道です。
道路を見ると,ガードレールが変わっていたり,舗装に明らかな継ぎ目が見えたりしています。ここがおそらく境界なのでしょう。左が新潟県,右が山形県です。
丘の上にはお寺があって,敷地は山形県のようですが,その先では県境が丘の稜線に沿って続いているようです。その丘を越えると,国道7号線に出ます。国道の境界はおなじみのカントリーサインの看板でした。
集落へ戻り,駐車してある車を見てみると,新潟県側の家は新潟ナンバー,山形県側は庄内ナンバーと,きれいに分かれています。当然のことなのですが,こんなところにも境界を感じさせられて面白いです。
義経の後を追って
今度は北へ歩いていきます。現在の鼠ヶ関の市街地は,今散策した県境付近より少し北の方にあります。その中に庭園があったので入ってみました。
庭園には松が植えられていて,龍のような格好で庭の端から端まで幹を伸ばしています。関所を渡る人たちもここで松を眺めて足を休めたのでしょうか。
さらに北へ進むと,近世の鼠ヶ関(「念珠関」と表記したそう)の遺跡があります。平安期になると,白河の関,勿来の関と並んで蝦夷の平定などで重要な関所のひとつだったようです。
港の方へ行くと,海岸が突き出ていて,弁天島というところに続いています。島といっても今では港が整備されて陸続きになっています。ここは源義経が上陸したという言い伝えがあるそうです。義経はこの後平泉へ向かったそうです。今回の行程と同じですね。何かに追われているわけではありませんが。
島を一周する道があるのですが,途中で海と断崖の間を進む場所があります。波がすぐ足元まで寄せてくるのでかなりおっかないです。足を滑らせようものならシャレではすみません。
何とか断崖を登りきると,岸が広がっていて,先端に灯台が見えます。島の入口にあった神社の奥社も置かれているようです。振り返ると,朝日に照らされた海岸線がきれいに続いています。
鼠ヶ関港は漁港としてだけでなく,マリンパークにもなっていて,夏にはサーフィンなどでにぎわいを見せるようです。
海岸線を歩きながら,最後に県境をもう一度訪ね,次の列車に乗り込みました。
長くなったので,いったんここで終わりにしたいと思います。後半もいろいろと書きたいことがあるので。
相鉄線高架化の進捗を見に行ってきた
先週の日曜日に,所用で東京へ行ってきました。とはいってもほとんど自由だったので,ついでに5年前まで住んでいた横浜へ行き,よく利用していた相鉄線の高架化の具合を見てきました。
ところで,相鉄本線天王町~和田町間は,自分が横浜に住み始める少し前から「連続立体交差事業」に着手しています。踏切をなくして事故や渋滞を減らすための取り組みです。事業の詳細は相鉄のサイトをご覧ください。
踏切を減らす(連続立体交差事業)|未来への取り組み|相鉄グループ
当初の予定よりも竣工時期が延び,完成を待たずに横浜を離れることになりました。事業の進捗状況は相鉄が定期的に広報しているのですが,実際にこの目で見て,住んでいた当時との変化を味わいたいと思います。
朝7時,旧居住地の最寄りの和田町駅に到着しました。電車を降りて早速,なんか雰囲気が違うなと思ったら,いろいろと改装されていました。駅舎のベースカラーがマットブラックになっています。駅標などの案内板も,横浜駅にならって青字に白文字に統一されたようです。
駅前の踏切と商店街の風景です。こちらは当時と変わっていません。
余談ですが,前の記事(2012年の旅行)は当時のガラケーで撮った写真を載せていますが,それに比べると今のスマホの写真は,解像度が格段に違いますね。データ量も大きくなっていますのでご了承ください。
前の住居の脇を通りつつ,星川駅方面へ歩いていきます。
高架部の末端です。線路内には侵入していませんのでご安心を。上り線(左側)はまだ地上を走っています。後ろ側に横浜新道(高架)が走っているので,相鉄線はここで地上に降りざるを得ません。もし横浜新道がなかったら,和田町も高架化されていたのでしょうか。駅前の踏切の待ち時間や混雑状況からみて,その可能性は高かったと思います。
横から見ると,高架化した下り線と,これからの上り線との対比がよくわかります。両線とも地表を走っていた頃と比べて,踏切の遮断時間は減っています。それでも,写真を撮っている数分の間に3,4回は列車が通過しました。
奥に列車が停車して見えるのが星川駅です。線路の高架化に合わせて,駅のホームも高架になります。
上下線のすれ違いの様子です。こんな光景を見られるのもあと少しです。
星川駅前まで来ました。左側の駅舎の社名ロゴは新しいものになっていますが,右側階段の上にある駅名看板は5年以上前からそのままです。青いシートで覆われている所が,高架化工事中の下り線のホームです。その真下に現役で供用されている今のホームがあります。
そのまま歩みを進めて,天王町駅へ向かいます。この区間は帷子川と並行していて,川沿いには遊歩道や遊水地も整備されています。
海に近いので,川なのにカモメがやってきます。天王町近くの橋の下には,野生のコイも泳いでいます。なお,カッパはいません。
天王町駅まで来ました。この駅はもとから高架で,この度の路線高架化に合わせて,相対式ホーム(線路が真ん中で両端にホーム)から島式ホーム(ホームが真ん中で両端に線路)に改築されます。今のホームの外側に新しい線路をつけて,移行後に今の線路部分に新しいホームを造るという,かなり手間のかかる工事です。竣工は星川駅より後になりそうです。
相鉄線の状況報告はこれで終了です。住んでいた頃はほぼ毎日見ている現場だったので,変化を見て取りづらく,むしろじれったさを感じていました。が,ほぼ5年を置いて来てみると,だいぶ変わったことに驚かされました。完成したらまた乗りたいと思います。相鉄箱の高架化事業のほか,JRや東急との接続事業も進めていて,新線・新駅開業ということになります。こちらも進捗を見守りたいと思います。
<ここから先は横浜・東京の旅行記になります>
天王町から電車に乗って横浜まで戻ろうかと思いましたが,せっかくなのでそのまま東へ向かって,野毛山動物園まで行きました。9時半の開園まで時間があったので,野毛山公園の展望台から横浜の街を眺めます。
以前1回歩いたことのあるルートですが,途中かなり勾配のある坂を登ります。和田町から歩いてきたこのルートは,水道管が地下に通っていて,「水道道」という名称がつけられています。考えてみれば,スタートからほぼ一直線でここまで来たんですね。
野毛山動物園は入園料無料です。それでいて案内や設備はしっかりしています。モルモットやウサギに(たまにアオダイショウとも)直接触れられる場所もあって,そういうのが好きな人にはお勧めのスポットです。
この白い動物は,あっ違った,これはガンダムですね。横浜を出た後はお台場に来ました。東京に来たら行ってみたい場所があったんですね。日本科学未来館という施設です。上野の国立科学博物館も好きなのですが,自然科学に興味のある人はこちらもお勧めです。体験型の展示がたくさんあります。
子どもが多く,内心,展示の意味もわからずにただはしゃいでいる子たちばかりで混雑して待たされるのは快くなかったのですが,老婆心から言えば,この好奇心が子どもたちにとって将来なにかのきっかけになったり,ちょっとでも科学に対して発見や疑問を持ったりしてくれればと願わずにはいられないのでした。
2012年8月 2回目の九州へ行ってきた 8日目
※この記事は 2012年8月の旅行をまとめたものです。記事中の情報や画像に関する内容は当時のものであり,現在とは異なる場合がありますのでご了承ください。
2012年8月10日(金) 8日目/8日
いよいよ最終日です。残っていた未乗区間をつぶしながら,福岡へ戻ります。今日乗ろうと計画していた区間のいくつかは6日目に乗ることができたので,時間的には余裕があります。そのため,本当は今日は福岡で1泊して,翌日の朝横浜に帰ろうと思っていたのですが,この日のうちに帰路に着くことができました。
鉄道ロマンシング・サガ
長崎を旅立ちます。復路は,昨日通った旧線ではなく,新線のほうを経由していきます。今日乗りつぶす未乗区間は,主に佐賀県内の路線です。分岐点となる肥前山口駅まで,朝から2時間乗りっぱなしです。
駅標を見ると,ひらがなは「やまくち」で濁らないのに,ローマ字はYAMAGUCHIになっています。正式な読みは「やまぐち」だそうです。ここからは戻るような方向で,佐世保線に乗り換えます。この路線は前回佐世保側から乗り通しています。長崎県の手前の有田駅で,松浦鉄道に乗り換えます。有田焼で有名な町ですね。
みかんで有名な和歌山の有田と違って,こちらは濁らない「ありた」です。九州の地名や名字は,濁らないものが多かったと思います。
松浦鉄道は,前身がJRの第三セクター路線で,前回は松浦半島の海沿いの区間をぐるっと回ってきたのでした。今回は,ある意味ショートカット的な区間を乗ります。
終点の伊万里駅からは再びJR線に乗り,先ほどの肥前山口駅から長崎本線ではたった2駅先の久保田駅へ向かいます。こんな大回り乗車も,「九州満喫きっぷ」なら私鉄だろうがJRだろうが運賃を気にせずに実行できます。
未乗区間を乗り筑紫
長崎本線に戻ってからは,鹿児島本線と交わる鳥栖駅まで進みます。県庁所在地である佐賀市も,乗り鉄にとってはほぼ通過地です。佐賀線が廃止されていなければ,まだ滞在の余地はあったのでしょうけど。
鳥栖からは,鹿児島本線で唯一乗り残していた基山までの区間をつぶし,おととい乗った甘木鉄道に乗り換えます。今度は終点の甘木駅まで行きます。
甘木鉄道の甘木駅から,西鉄の甘木駅へ乗り換えます。同じ甘木駅(会社名や旧国名がが頭についたりしない)ですが,駅舎は少し離れています。前の写真が甘木鉄道,次の写真が西鉄のものです。
大牟田線と交わる宮の陣駅から,大牟田線で福岡へ戻ります。ここもちょうどよく未乗区間が埋まるように,おとといと行路を調整していたのでした。
福岡に着いてからは,地下鉄七隈線に乗り,九州北西部の鉄道はひとまず乗車完了です。
これまで18きっぷと九州満喫きっぷのお世話になりました。普通に乗ったら運賃はどれほどになっているのでしょう。本当にありがたいアイテムです。
ここで恩をあだにするようですが,最後のミッションです。乗りつぶしが早く終わったので,今日のうちに横浜へ帰ることにしましたが,この帰りの交通手段,山陽新幹線こそが,今回最も新規乗車距離が長く,かつ運賃が高いという区間です。まぁ,新幹線なので仕方ないですね。新幹線もれっきとした鉄道です。しっかり乗りつぶします。
さよなら九州。また来れるといいな。
それにしてもやっぱり新幹線は快適ですね。コンセントも付いているし。あっという間に大阪,そして横浜に戻ってきました。
豪雨災害により乗れなかった大分方面の区間や,南九州,そして九州新幹線など,まだまだ開拓したい路線が残っています。次はいつになるか分かりませんが,また訪れたいと思います。
【記録】
<乗車行程>(九州満喫きっぷ使用)
※鳥栖から先は計画より早く進んだので時刻は不明
長崎603---(長崎本線・鳥栖行)---804肥前山口813---(佐世保線・早岐行)---848有田858---(松浦鉄道)---921伊万里943---(筑肥線・唐津行)---1021山本1031---(唐津線)---1130佐賀1145---(長崎本線)---1216鳥栖---(鹿児島本線)---基山---(甘木鉄道)---甘木---(西鉄甘木線)---宮の陣---(西鉄大牟田線)---薬院---(福岡市地下鉄七隈線)---橋本---(福岡市地下鉄七隈線)---天神南/天神---(福岡市地下鉄空港線・福岡空港行)---博多---(山陽新幹線)---新横浜---(横浜線)---横浜---(相鉄本線)---和田町
<新規乗車区間>
JR長崎本線 長崎~喜々津 18.4 キロ
JR唐津線 山本~久保田 32.9 キロ 〔完乗〕
JR山陽新幹線 博多~新大阪 644.0 キロ〔完乗〕
JR線計 761.5 キロ
甘木鉄道甘木線 小郡~甘木 9.9 キロ〔完乗〕
西鉄甘木線 甘木~宮の陣 17.9 キロ〔完乗〕
私鉄線計 66.3 キロ
<全日程合計>
JR線新規乗車区間 1495.5 キロ
私鉄線新規乗車区間 346.2 キロ
2012年8月 2回目の九州へ行ってきた 7日目
※この記事は 2012年8月の旅行をまとめたものです。記事中の情報や画像に関する内容は当時のものであり,現在とは異なる場合がありますのでご了承ください。
2012年8月9日(木) 7日目/8日
7日目,熊本からスタートです。実を言うと,当初の計画では,大分方面まで出向いて,日田彦山線,久大本線,豊肥本線なども乗りつぶすつもりでした。しかし,大雨により不通区間が多く,断念せざるを得ませんでした。今回乗った南阿蘇鉄道も,現在では熊本地震により運休している区間があります。無事に列車に乗れるというだけでもありがたいことです。 被災された地域の早い復興を祈ります。
みなみあそみずのうまれるさとはくすいこうげん を越えて
まずは南阿蘇鉄道に乗ります。前回乗車した時は,乗りつぶしの目的がなかったので,日本で一番名前が長い駅「南阿蘇水の生まれる里白水高原」で降り,散策した後引き返しました。今回は南阿蘇鉄道を完乗するために,再び乗りなおします。
終点の高森駅は,少し靄がかかっていましたが,朝の高原という感じの風景でした。起点の立野駅は,日本でも数少ないスイッチバックの駅なのですが,どういうわけか写真が1枚もありません。何していたんだろう。
熊本に戻り,熊電の残っていた区間に乗ります。
これで熊本近郊の路線は乗りつぶしが終わりました。次の目的地は長崎です。といっても,陸路で行くと大回りになるので,海を渡っていきます。生粋の乗り鉄の方には申し訳ないですが,鉄道以外の交通手段というのもよい気分転換になるのです。
島原平穏 肥後安泰
熊本駅から港まではバスで行きます。熊本市は海に面していますが,海沿いは平地が少なく,市街ほど栄えていません。
熊本港から対岸の島原まで,800円で渡ることができます。その割に船内はスナックコーナーなど設備がしっかりしていて,30分弱で渡り終えてしまうのが惜しいくらいでした。
島原からは,雲仙普賢岳が見えます。見えるはずなのですが,この日は雲で隠れていました。
天気はよくなかったですが,道沿いの植物が南国を感じさせます。豪雨や地震もそうですが,この地も以前火山の噴火で甚大な被害を被った場所です。自然の恩恵と災害は切っても切れない関係です。
港近くから,ちょうど鉄道が出ています。これで諫早方面へ向かいます。この路線も以前,諫早側から少し乗ったことがあるのですが,今回は終点側から丸ごと乗りつぶすことができます。鉄道だけだとこの路線のためだけに行って戻るような形になりますが,船を使うと無駄のないルートを取れます。
諫早からはJRに乗り換えて,長崎へ向かいます。長崎へは途中から路線が二手に分かれています。もちろんどちらも乗る予定ですが,今日は旧線(長与経由)のルートで行きます。
67年前への祈り
長崎市内では,JR線に並走するように路面電車が走っているので,終点の長崎まで行かずに乗り換えます(残りは明日の復路で乗りつぶし)。
計画の段階から奇しくも,と思っていたのですが,8月9日はちょうど長崎に原子爆弾が落とされた日です。ニュースでも毎年式典の様子が報道されますが,その場所に立ち寄りました。
到着が午後だったので式典は終わっていましたが,献花台が残っており,慰問に来られた方もまだ何人か見えました。
自分の意識からくるのか,はたまた場所特有の空気なのか,日常で感じるものとは違う独特な静けさを感じながら,公園を散策します。
公園に隣接して資料館もあり,広島と同じく当時の様子や遺留品やを見ることができます。どうしても展示物ばかりに興味がいきがちですが,被爆者や来館者のメッセージに目を向けるのも,今を生きる世代としての任務かな,とも思います。
ちょうど大事な日に現地で学ぶことができて,貴重な時間となりました。
長崎は今日は晴れだった
日も傾いてきたので,路面電車を走破しながら長崎市内を探訪します。電車に乗っているとそれほど感じないのですが,坂の町といわれるだけあって,大通りから横道へ少し踏み込むと,上り坂があちこちで見られます。写真では分かりづらいかもしれません。
最近聞かなくなりましたが,長崎って眼鏡橋でも有名でしたよね?ただ橋があるといえばそれまでなのですが,石造りアーチの風格からは歴史を感じます。
路面電車なので,当然道路の真ん中を走るわけですが,停留所を降りるとある種の怖さを感じます。街の人はそれが当たり前だと思うのですが,普通に真横を車が走っているわけです。
市内電車の駅としては一番南の石橋に着くころには,もう日が暮れかけていました。時間を見ると,もう7時を回っているんですね。8月とはいえ,かなり西まで来たことを実感させられます。
石橋駅のある通りから横道へ入ると,オランダ坂という名前の付いた通りがありました。これまた石畳の風情ある道です。その近くには日栄湯という銭湯があります。計画の段階で調べていこうと思っていた場所です。歴史ある街で昔ながらの銭湯で汗を流す,いい贅沢じゃないですか。
銭湯の番台にはずいぶん高齢のおばあさんがいて,客もお年寄りばかりでした。地域のたまり場,という感じです。横浜から来たといったらみんな驚いていました。
入浴後は日もどっぷり暮れていて,夜の長崎の街へ繰り出します。日本三大夜景に数えられるほどだそうですが,今回は山から見下ろさずに,夜景の中に紛れて夜を過ごします。
ここでもうひとつ計画していたことを実行します。長崎駅に隣接して映画館が入っている施設があって,当時公開間もなかった『おおかみこどもの雨と雪』を観ようと思っていたのです。映画はあまり見ない(前回みたのがそれこそ『サマーウォーズ』)ので,旅先で観るといっそう特別な気分になれます。
感想は割愛しますが,原爆といい映画といい,情操を刺激される半日となりました。
映画館を出た後は,かの出島の方面にあるネットカフェへ向かって歩いていったつもりなのですが,方角を間違えたらしく,市役所方面へ向かっていました。気づいた時にはだいぶ進んでいたので,そのまま夜の街を歩くことに。
終電ももう終わっていて,車通りも少なくなっていましたが,歩いてみると新たな発見があるものです。東京までの郵便線路開通起点の碑を見つけました。線路といっても鉄道ではなく,飛脚に代わって輸送を行う,今でいう郵便局の配達ルートが確立された場所なのですね。
他にも長崎奉行所の跡とか,思いがけず歴史的な場所に立ち寄ることができました。ぐるっと街を一周して,目的地のネットカフェ到着です。
思えば移動しっぱなしだった1週間でした(学会で小倉に滞在した日もありますが)。乗り鉄のサガといえばそうなのですが,こうしてひとつの町でゆっくりするのもいいものです。長崎が地勢的にどん詰まりのところにあるのも,先を急ごうと思わない大きな理由でしょう。
個人的に気に入っている町というのがいくつかあって,広島と小樽がツートップなのですが,今回長崎も上位に入りました。地形とか,街並みとか,路面電車が走っているとか,いろいろ心をくすぐる要因はあるのですが,ゆっくりくつろげた,というのが大きなポイントなのかな。
明日は最終日です。乗り残しの区間を回収しながら福岡へ戻ります。今日と比べるとまたせわしない日に戻りそうです。
【記録】
<乗車行程>(鉄道は九州満喫きっぷ使用)
肥後大津709---(豊肥本線)---723立野726---(南阿蘇鉄道)---758高森804---(南阿蘇鉄道)---831立野837---(豊肥本線)---850肥後大津855---(豊肥本線)---932熊本935(鹿児島本線・玉名行)939---上熊本950---(熊本電鉄線)---959北熊本1001---(熊本電鉄線)---1021御代志1041---(熊本電鉄線)---1101藤崎宮前1110---(産業交通バス子7系統)---1127熊本1208---(産業交通バス西7系統)---1237熊本港1300---(熊本フェリー 800円)---1330島原外港1356---(島原鉄道線)---1510諫早1514---(長崎本線旧線)---1600浦上/浦上駅前---(長崎電鉄:以下同じ)---赤迫---長崎駅前---蛍茶屋---賑橋---正覚寺下---石橋---築町---長崎駅前
<新規乗車区間>
JR長崎本線(旧線) 喜々津~浦上 23.5 キロ
JR線計 30.0 キロ
南阿蘇鉄道高森線 南阿蘇水の生まれる里白水高原~高森 8.6 キロ〔完乗〕
長崎電気軌道桜町支線 長崎駅前~公会堂前 0.9 キロ〔完乗〕
長崎電気軌道蛍茶屋支線 公会堂前~西浜町 0.8 キロ〔完乗〕
長崎電気軌道蛍大浦支線 築町~石橋 1.1 キロ〔完乗〕
私鉄線計 58.3 キロ